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[サーファー院長の骨休め]コラム::「84’ハワイノースショア ~原点」
ビッグマッサー タハラ
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「84’ハワイノースショア ~原点」
今から20数年前私はサーフィンの聖地ハワイノースショアの門を叩いた。
20歳になったばかりの私をハワイに導いてくれたのはドミンゴサーフボードの阿部川芳夫氏、それに同年代のライバルたちだった。
私が何の目的でノースを訪れたか、それはサーフィンの修行をするためだった。その頃は大会にも出場しテストライダーにもなり「俺はかなりうまい。」と思い込んでいた。そして更に上のレベルを目指し「もっとうまくなりたい。うまくなりたければ絶対ハワイに行かなければならない。」と相当の覚悟を決めて行ったのを覚えている。
そんな決意を胸に秘め到着したホノルル空港。梱包したままのサーフボードを車に積みいざノースショアへ。夕方のハレイワは腰胸サイズ。「初めてのノースならこの位のサイズだろう。」と緊張の面持ちのハワイ初体験小僧たちへ阿部川氏からの優しい計らいだった。
翌日からはエフカイ、チャンズ、ラニアケアと比較的イージーな波質のポイントでやっていたが次第にハードなポイントへと移って行った。3~4feetのバックドアではマークリチャーズ、ショーントムソン、トムカレンといったそうそうたるメンバーが波に乗る中自分が乗れる波を追いかけた。しかしそんなハワイ初心者が波に乗れるはずもなく何本ものセットを食らった。ドルフィンスルーをしても板は勝手に手から離れ水深が浅いので腰をリーフにヒットするし傷は絶えなかった。波への恐怖、乗れないみじめさ、ノースの洗礼をまともに食らった。夜が来るとほっとする。「今日はもうサーフィンしなくていいんだ。」と。自分の向上心と恐怖心との闘いだった。
そんな中私たちに最大の試練が訪れた。場所はハレイワ。ややチョッピ-気味であるが出来るサイズ。沖には3~4人しか入っていない。「やるぞ!こんなコンディションめったにないぞ。」と阿部川氏。「ライバルたちも行くんだ、ここで行かねば後悔する。」とパドルアウトした。サイズは6~7feet。海の中はまさに水がうごめいていた。「水の量が違う。」とよく言うが水の山が一団となって右に左に上に下へともの凄い量で動くのだ。セットが入るとピークと正反対の方向へ逃げる。水平線が真っ黒になりうねりが近づく。波は一気に盛り上がるとスローモーションで崩れボトムが一段下でスープをたたえている。その電信柱くらいのモンスタースープを米粒大の人間が必死に板を捨てて潜っている。「人間の乗る波じゃない。」それが私の素直な感想だ。3feetくらいの波を捕まえて何とか岸に戻ることが出来た時命を救ってくれたボードとパワーコードに感謝した。


このノースショアの波に乗ることそれは「将来じっくり腰を落ち着けて生活しながら経験していかなければこの波は乗ることは出来ない。」私にとって生活していくことのほうが重要でプロサーファーになることは重要ではなくなった。しかしその時点で生活していける技能は何も持ち合わせていなかった。
それから一年後日本で鍼灸マッサージ師養成の専門学校に入学し資格を取得した。それは勿論ハワイ行きを視野に入れてのものだった。それからというものサーフィンを中断しマッサージ治療師としての技能を必死に学んだ。
その後ハレイワの教会で結婚式を挙げ、子供が4人生まれた。妻と子供たちはフラを習い、サーフィンをしている。
私の20代の夢は終わらない。いつかノースの波の音が聞こえるところに暮らし、笑って波に乗ることを夢見てこの仕事をしている。


ビッグマッサータハラ プロフィール
田原靖夫
神奈川県大磯町在住
1964年生まれ
サーフィン歴28年
1987年鍼灸指圧マッサージ師免許取得
小田原市養生館にて7年の修行の後、1994年大磯にて「ビッグマッサータハラ」を開業。仕事の傍ら、地元のビーチクリーン、キッズサーフィンスクールや大会の運営にも力を注いでいる。そして、毎日1時間のサーフィンは、今も欠かさない。
主な戦歴:82~86年全日本サーフィン選手権出場

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