「毎湘通信100号おめでとうございます!」
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2010年バックナンバー
「今度うちでミニコミ誌を作るから、健康についてコラム書いてくれないか?」と新聞屋のサトルさんから依頼された。
依頼主の渡辺新聞舗渡辺聡氏は、私が二宮からサーフボードを抱え自転車で大磯の海まで通っていた10代の頃、海の中で気さくに声を掛けてくれた地元の先輩サーファーだ。
私は、小学4年生の時書いた作文が表彰され、それを町の敬老の日の祝典で朗読したことがあり、もしかして文才がある?というちょっとした自信があった。
コラムを掲載することで治療院の宣伝にもなるし、お世話になった先輩からの頼みだったので軽く引き受けた。
そして創刊号は、「9月のボディートラブル」という題で文を書いた。
当時まだパソコンを使えなかったので、手書きで書いてお店に持って行った。アメリカの同時多発テロの数日後に発行された。
2001年だ。
それから毎月15日の原稿締切日に向けて新聞やテレビなどからネタを探す日々。
そんな中スポーツへの鋭い観察眼と分かり易い起承転結な文章構成のスポニチ水曜版の二宮清純さんの唯我独論は、いつも参考にさせていただいている。
そもそも「健康に関する内容」という依頼だったが、あまり医学的なことを難しく書いても面白くない。かといって巷にありふれた「肩コリにはこのツボを押しましょう。」的なものも違う。そこで「サーファー院長の骨休め」といういいネーミングを付けてもらったということで、大磯のサーファー整体師を前面に打ち出し親近感を持ってもらい、長年波と戯れ海を通じて学んだ体験を自分流の表現や発想で書こうと決めた。
その中で私が一番言いたかったのは、「大自然の中で人間は本当にちっぽけな存在だ。その恵みに包まれて私たちは生きている。健康は他の誰かが携えてくれるものではなく、その人自身が自然と調和することで得られるのだ。それには自然への感謝の気持ちを忘れてはならない。」ということだ。
最初は100号も書くとは想像もしていなかった。私のコラムを読むことで癒されたり、元気が出たり、カラダのことが少しでも分かって頂けたら幸いです。
そしてこのような機会を与えてくれた渡辺新聞舗さんには大変感謝しております。
依頼主の渡辺新聞舗渡辺聡氏は、私が二宮からサーフボードを抱え自転車で大磯の海まで通っていた10代の頃、海の中で気さくに声を掛けてくれた地元の先輩サーファーだ。
私は、小学4年生の時書いた作文が表彰され、それを町の敬老の日の祝典で朗読したことがあり、もしかして文才がある?というちょっとした自信があった。
コラムを掲載することで治療院の宣伝にもなるし、お世話になった先輩からの頼みだったので軽く引き受けた。
そして創刊号は、「9月のボディートラブル」という題で文を書いた。
当時まだパソコンを使えなかったので、手書きで書いてお店に持って行った。アメリカの同時多発テロの数日後に発行された。
2001年だ。
それから毎月15日の原稿締切日に向けて新聞やテレビなどからネタを探す日々。
そんな中スポーツへの鋭い観察眼と分かり易い起承転結な文章構成のスポニチ水曜版の二宮清純さんの唯我独論は、いつも参考にさせていただいている。
そもそも「健康に関する内容」という依頼だったが、あまり医学的なことを難しく書いても面白くない。かといって巷にありふれた「肩コリにはこのツボを押しましょう。」的なものも違う。そこで「サーファー院長の骨休め」といういいネーミングを付けてもらったということで、大磯のサーファー整体師を前面に打ち出し親近感を持ってもらい、長年波と戯れ海を通じて学んだ体験を自分流の表現や発想で書こうと決めた。
その中で私が一番言いたかったのは、「大自然の中で人間は本当にちっぽけな存在だ。その恵みに包まれて私たちは生きている。健康は他の誰かが携えてくれるものではなく、その人自身が自然と調和することで得られるのだ。それには自然への感謝の気持ちを忘れてはならない。」ということだ。
最初は100号も書くとは想像もしていなかった。私のコラムを読むことで癒されたり、元気が出たり、カラダのことが少しでも分かって頂けたら幸いです。
そしてこのような機会を与えてくれた渡辺新聞舗さんには大変感謝しております。