「JUN MATSUMOTO MEMORIAL」前編
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2007年バックナンバー
ジュン マツモトをご存知だろうか?元陸軍軍医総監松本順である。
明治18年に日本で最初の海水浴場を大磯に紹介した人物としてあまりに有名である。
大磯の地は江戸時代東海道の一宿場町として栄えたが、慶応3年の大政奉還によって、宿駅制度が廃止され、更に大火事で町の中心部を焼失し、経済的に疲弊した状態であった。
そこへ西洋の公衆衛生学に関心を持った松本順が日本古来の湯治の伝統と海水浴の概念を融合し、広く一般に海水浴というものを紹介しようとしていた。
彼はその適地を求めて全国を旅していた。そんな時伊豆の温泉場から東京へ戻る途中たまたま大磯へ宿泊した。そして大磯照ヶ崎海岸を訪れると、はたと手を打ち今まで視察した全国どこの海浜よりも浴場として自然環境の良さを知るのであった。「第一に東南に向かって西北に背き、第二に砂場広くて貝殻なく、第三に海底は小石か砂石の大なるものより成り、第四に潮水は澄んで少しも河水の混入なく、第五に波は激しく身体に当たっても危険なく、第六に潮汐の干満が殊に大なる等」これが海水浴場に適した条件である。そしてこの大磯照ヶ崎こそ海水浴の好適地であると確信したのであった。
これを受け地元大磯はどう動いたのか。その後別荘地としてどう変貌していったのか。そして、今日の大磯海水浴場はどうなっているのか?
次号につづく。
松本順没後100周年記念展「大磯の蘭ちゅう-松本順と大磯海水浴場」
場所:大磯郷土資料館 大磯町西小磯446-1 TEL 0463-61-4700
明治18年に日本で最初の海水浴場を大磯に紹介した人物としてあまりに有名である。
大磯の地は江戸時代東海道の一宿場町として栄えたが、慶応3年の大政奉還によって、宿駅制度が廃止され、更に大火事で町の中心部を焼失し、経済的に疲弊した状態であった。
そこへ西洋の公衆衛生学に関心を持った松本順が日本古来の湯治の伝統と海水浴の概念を融合し、広く一般に海水浴というものを紹介しようとしていた。
彼はその適地を求めて全国を旅していた。そんな時伊豆の温泉場から東京へ戻る途中たまたま大磯へ宿泊した。そして大磯照ヶ崎海岸を訪れると、はたと手を打ち今まで視察した全国どこの海浜よりも浴場として自然環境の良さを知るのであった。「第一に東南に向かって西北に背き、第二に砂場広くて貝殻なく、第三に海底は小石か砂石の大なるものより成り、第四に潮水は澄んで少しも河水の混入なく、第五に波は激しく身体に当たっても危険なく、第六に潮汐の干満が殊に大なる等」これが海水浴場に適した条件である。そしてこの大磯照ヶ崎こそ海水浴の好適地であると確信したのであった。
これを受け地元大磯はどう動いたのか。その後別荘地としてどう変貌していったのか。そして、今日の大磯海水浴場はどうなっているのか?
次号につづく。
松本順没後100周年記念展「大磯の蘭ちゅう-松本順と大磯海水浴場」
場所:大磯郷土資料館 大磯町西小磯446-1 TEL 0463-61-4700