「聖人は未病を治す」
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2008年バックナンバー
江戸時代の医学者貝原益軒の著書「養生訓」の中に「聖人は未病を治す」とあるが、それはどういうことかというと、病気にかかる前に、予防的に注意をすれば病気にならない、ということである。
もし、飲食や色欲などの内欲をこらえないで、また風・寒・暑・湿などの外邪を防がなければ、おかされることはわずかであっても、あとで病気になってあとで苦労する。内欲と外邪とを慎まないために大病になって、思いのほか悲しみ、長く苦しむことになる。病気とはそうしたものである。
病気になると、それ自身の苦痛だけでなく、痛い針で身を刺し、熱い灸で身をやき、にがい薬を飲み、食べたいものを食べず、飲みたいものものまないで、身を苦しめ、心を傷つける。病気でないときに、予防的に養生をすれば病気にならないで、目に見えない大きな幸せになるのである。
養生の道を無視すると、生まれつき健康で、若く元気旺盛なひとも天寿をたもたないで早世するものが多い。これは天からの禍ではなく、みずからがまねいた禍である。健康なひとは健康ということにたよって注意しないから、弱いひとよりかえって早く世を去る。
昔のひとは「三欲を我慢せよ。」といっている。飲食、好色、睡眠の欲だ。現代にはファーストフードが氾濫し、巨乳をちらつかせ性欲をあおり、満タンになった胃袋の内容物も消化されないまま居眠りする快楽第一主義の習慣を覚えるとあとで必ず禍になる。
命が長いか短いかは身の強弱によるものではなく生活を慎むか慎まないかによる。
「福と禍とは、慎むと慎まざるにあり」つまり、つねづねから身体について深く思い、病気にかからない前に慎みを覚えておけば病なんかと戦わずに済むのである。これがもっともよい策「未病を治す」道なのである。
もし、飲食や色欲などの内欲をこらえないで、また風・寒・暑・湿などの外邪を防がなければ、おかされることはわずかであっても、あとで病気になってあとで苦労する。内欲と外邪とを慎まないために大病になって、思いのほか悲しみ、長く苦しむことになる。病気とはそうしたものである。
病気になると、それ自身の苦痛だけでなく、痛い針で身を刺し、熱い灸で身をやき、にがい薬を飲み、食べたいものを食べず、飲みたいものものまないで、身を苦しめ、心を傷つける。病気でないときに、予防的に養生をすれば病気にならないで、目に見えない大きな幸せになるのである。
養生の道を無視すると、生まれつき健康で、若く元気旺盛なひとも天寿をたもたないで早世するものが多い。これは天からの禍ではなく、みずからがまねいた禍である。健康なひとは健康ということにたよって注意しないから、弱いひとよりかえって早く世を去る。
昔のひとは「三欲を我慢せよ。」といっている。飲食、好色、睡眠の欲だ。現代にはファーストフードが氾濫し、巨乳をちらつかせ性欲をあおり、満タンになった胃袋の内容物も消化されないまま居眠りする快楽第一主義の習慣を覚えるとあとで必ず禍になる。
命が長いか短いかは身の強弱によるものではなく生活を慎むか慎まないかによる。
「福と禍とは、慎むと慎まざるにあり」つまり、つねづねから身体について深く思い、病気にかからない前に慎みを覚えておけば病なんかと戦わずに済むのである。これがもっともよい策「未病を治す」道なのである。